能代工業高校バスケットボール部 歴代監督一覧

加藤 廣志元監督

1960年(昭和35年)就任〜1990年(平成2年)退任

1937年 秋田県藤里町生まれ。

能代工業高校から日本体育大学へ入学。卒業後、1960年に母校・能代工業高校教諭に赴任し、バスケットボール部監督に就任。埼玉国体での全国初優勝以来、全国優勝33回を達成し、そのうち三冠王(国体・インターハイ・選抜の3大会優勝)を5回、インターハイ7連覇という偉業を成す。

1990年監督を引退し、能代工業高校教頭、秋田県立スポーツ会館館長、秋田県教育長保健体育課課長、秋田県教育長参事など歴任し、1997年に能代工業高校校長となり、翌年1998年に定年退職。

その年の6月より能代山本スポーツリゾートセンターアリナスの館長に就任。

能代工業高校バスケットボール部は加藤監督引退後も、その指導法は教え子の

加藤三彦元監督に引き継がれ、2007年10月までに58回の全国優勝を飾り、記録を伸ばし続けている。

加藤 三彦元監督

1990年(平成2年)就任〜2008年(平成20年)退任

能代工業高校で2年次にインターハイ・ウィンターカップ2冠、3年次には国体も合わせた3冠を経験する。卒業後、筑波大学を経て、いすゞ自動車に入社。選手として活躍し全日本のメンバーにも名を連ねた。

1987年にバスケットボール部の横浜移転などのため引退し退社。指導者に転じる。

同年、母校である能代工に赴任。バスケットボール部コーチに就任。1990年に監督昇格。

コーチ・監督を通じインターハイ12回・ウィンターカップ10回・国体7回優勝へと導き、

長谷川誠・田臥勇太ら日本を代表する選手を数多く育てた。

1995年から5年間は全日本ジュニアのコーチも務めた。

2000年には「人間力大賞」、2006年には「文部科学大臣優秀教員表彰」を授与されている。

2008年に退職。同年よりリンク栃木ブレックス(当時)のヘッドコーチに就任する。

その後、2011年に西武文理大学バスケットボール部の監督に就任。

佐藤 信長前監督

2008年(平成20年)就任〜2015年(平成27年)退任

中学で能代に移りバスケを始める。能代工業高校でウィンターカップ連覇を経験。

 

その後明治大学を経て、1993年に住友金属に入社。

1998年にバスケ部が休部となったため、アイシンシーホースへ移籍。スーパーリーグやオールジャパンの優勝に貢献する。

2005年、スーパーリーグに新規参入となる福岡レッドファルコンズへ移籍するが、シーズン半ばで解散したため松下電器へ移籍し現在に至る。

ファイブの主要人物の一人である。

2008年3月、現役を引退する。同年4月、母校である能代工業高校の監督になる。

2015年に退職。

同年より、青森ワッツ(東地区B2)のヘッドコーチに就任。

栄田 直宏監督

2015年(平成27年)就任

1970年秋田県出身。能代工高時代は、マネージャーを経験。

佐藤前監督とは同学年。

卒業後、東京学芸大学へ進学し、1993年から県内中学校のバスケットボール部で指導。秋田銀行女子バスケ部のコーチを経て、2007年の秋田わか杉国体では成年男子チームのヘッドコーチとして3位に入った。

13年に同校に赴任し、アシスタントコーチとして佐藤前監督を支えていた。

2015年に監督就任。現在に至る。

主催:能代市 主管:秋田県立能代工業高等学校バスケットボール部OB会

協力:能代市バスケットボール協会・能代市山本郡バスケットボール協会・秋田県山本地域振興局

※「秋田県地域によるスポーツイベント企画・検証支援事業」を活用しています

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